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2012.01.31  おむかえ 






No.672 / 日常 / Comment*4 / TB*0 // PageTop▲

2012.01.30  大空 


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No.671 / 日常 / Comment*0 / TB*0 // PageTop▲

2012.01.27  ロバート・キャパ写真集「戦争・平和・子どもたち」 


歴史に名を残す写真家たちも、たくさんの子どもの写真を撮っています。
ロバート・キャパ氏もそれを代表する一人です。
その写真は、普通の子どもの写真と違う点があります。

写真には、だいたい主役があって、そして背景があります。
子どもの写真の場合、主役は子ども、背景は公園になるかもしれません。
これは写真に写っている背景です。
ここまでは、普通の子ども写真です。

彼らの撮る子どもの写真には、この先があります。
子どもの写真について少し踏み込んでみます。

写真には、もう一つ、背景があります。
その写真自体の背景です。
どういう状況の中でその写真が撮られたか、ということです。

歴史に名を残す写真家はそのことが明確になっています。
子どもを撮る場合も、背景がきっちり存在しています。
先に背景を決めていると言ってもいいかもしれません。

世の中には、表と裏、光と闇、バランスをとって存在しています。
明るいところで明かりをつけてもわかりにくいものです。
闇が深ければ深いほど、光は輝きます。
もし、子どもを光とするなら、その光をより輝かすための闇は何か?背景は何か?

ロバート・キャパ氏は背景を戦争にしています。
戦争は世界の中でも深い深い闇です。

その闇の中で、輝く子どもを撮っています。
だから強烈な光になります。

土門拳氏は「筑豊のこどもたち」で、炭鉱で働く数万の労働者が失業し、
家族が苦しい生活をしていることを背景にしています。

この背景を決めることによって、写真の意味は大きく変わってきます。
人によって、そして時代によって、背景は変わってきます。
だからその時代にしか撮れない子どもの写真、
またその背景でしか撮れない子どもの写真があるわけです。



誰にでも、それぞれの背景があります。

私の場合、大切な家族と離れて、ほとんど海上で生活しているという背景があります。
だから一緒に過ごす僅かな時間が光り輝きます。
しかもその場所は、都会から離れた、小さな島です。だからこそ、感じる光があります。
病気になったからこそ、また死を覚悟したからこそ、感じる光もあります。

そして、その背景をもとに、自分の伝えたいメッセージは何か?

ロバートキャパ氏は、戦争を背景に、
子どもたちの未来のために、世界の平和を訴えています。

別の言い方をするなら、子どもは社会を映す鏡です。
子どもを通して社会を見ることによって、平面ではなく、
立体化して社会を見ることができます。

子ども越しに社会を見て、今の社会をどう思うか?
子ども越しに社会を見て、これからどうなって欲しいか?

これが子どもの写真に込められている背景とメッセージです。

これが写真の中に、含まれているものと、そうでものでは、写真自体の意味が変わってきます。
どちらがいい、悪いということではありません。
どちらも大切な一枚の写真です。

背景とメッセージ、頭の隅に入れておくと、
子どもの写真を撮る場合も、今までと視点が変わってくるかもしれません。

たかが子ども写真、されど子ども写真です。
たった一枚の子どもの写真が、社会を変える可能性を秘めています。

写真集「しまなみライフ」、写真展「しまなみライフ」の中では、
子ども越しに見た今の社会に向けて、私のメッセージを込めています。

何か少しでも感じていただけるものがあれば幸せです。

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No.670 / 日常 / Comment*7 / TB*0 // PageTop▲

2012.01.26  風力5 




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No.668 / 日常 / Comment*2 / TB*0 // PageTop▲

2012.01.25  写文集「腕白小僧がいた」  


土門拳氏の写文集「腕白小僧がいた」
この中には、子ども写真の傑作が詰まっています。
読み返すたびに新たな発見があります。

タイトル、「ゴミ捨て場」「金庫」「鮎突く子ら」「傘を回すこども」「おいちいよ」などなど
素晴らしい写真がずらーっと並んでいます。
まさしく本物の子どもたちが写っています。

その中でも私のお気に入りは「お祭りの日」です。
決して可愛い子どもの写真ではありません。

くたびれた服を着た女の子が、露店の前で、おもちゃを欲しそうにずーっと見ています。
そのおもちゃに手で触れたいのに、触れてしまうと自分の気持ちが爆発してしまうかのように、
手はポケットの中です。
しかも足元は大人用の下駄です。

子どもの気持ちがこちらまでひしひしと伝わってきます。

この本の中で土門氏自身、子どもの写真について次のように語っています。

「こどもを撮っているときは、それが二度と撮れないといった厳しさは、
それほどにも感じていないときもあった。そんなものはいつでも撮れると
思っていたのだが、実際には、そのとき、それを撮っておかなければ、今となっては、
もう二度と撮れないのである。」

子どもの写真を撮っていると、痛いほど身に染みる言葉です。
子どもに対して、「今しかない」ということに、どれだけ早く、強く、感じることができるか、
子どもの写真を撮る上で、最大の焦点だと思います。
このことに気づくと素敵な子ども写真、家族写真が出来上がります。

でも、土門氏の場合は、自分の子どもに対して言っていることではありません。
全て、その時代に生きる子どもに対して「今しかない」という言葉です。

多くの方は、自分の子どもに対して「今しかない」という気持ちは、感じていると思います。
その時代を生きる子どもに対しても、「今しかない」と思って撮影すると、
同じ自分の子どもを撮影するにしても、写真の意味がガラッと変わってきます。
子ども写真の枠を越えると思います。

この本から、目の前のことだけでなく、広い目線で社会を見ることの重要性を感じます。
歴史に名を残す写真家は、子どもを撮っているようで、実はその時代を写しています。
子どもは社会を映す鏡です。

そのあたりは、また次回。


土門拳氏の写文集「腕白小僧がいた」
お気に入りです。




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